2007年12月31日
12/31中国映画 異聞・始皇帝謀殺(秦頌)感想メモ
異聞 始皇帝謀殺(秦頌 THE EMPEROR'S SHADOW)
12月31日(月) 読売テレビ 2:24〜4:50
(1996年香港)
時間/131分
監督/チョウ・シャオウェン
出演/チアン・ウェン グォ・ヨウ
1996年西安映画製作所・香港/監督:周暁文/主演:姜文
http://www.ytv.co.jp/0708bangumi/m_shikoutei.html
●あらすじ
秦の始皇帝をめぐって繰り広げられる物語を描く史劇。中国統一を進める秦の国王ユンはある日、幼なじみのカオと再会した。しかし、カオはユンの歓待を拒否する。
秦王ユン・ジョン(始皇帝)は、中国統一のために諸国に攻め入り制圧した。
燕から琴の名手・カオを呼び寄せ、国歌を作らせようとするが、カオは自国を滅ぼしたユンに反発し、自ら命を絶とうとする。カオの気持ちを和らげようと、ユンの長女・ユエヤンが仲裁に入る。幼い頃の落馬が原因で、歩く事が出来なくなってしまったユエヤンと、燕から無理やり連れて来られ音楽を強要されているカオは、お互い相手に自分と似た部分を見つけ惹かれあうようになる。
カオと付き合ううちに、ユエヤンの足も奇跡的に回復する。
が、ユンは二人の仲を認めることが出来ない。既にユエヤンをワンベンに嫁がせると公言していたのだ。ユエヤンは約束どおりワンベンに嫁ぐが、カオとの密会を続けていた。そして・・・・・。
____________________________
日本ではあまり知られていない映画だったらしい。
しかし相当面白かった。深い感銘を受けた作品だ。
普段、映画を見るときに事前の情報がありすぎると
素直に映画のないように入り込めないときがある。
逆に、何の前知識もなく、映画の技術的な良し悪しを批判するつもりもなく、
出演している俳優のこともしらなくて、監督のことも知らない、
映画そのものを批評するのが目的じゃない。
単純に物語の中に自分を重ね合わせることができたり、監督の世界観に浸ることができたりすると、思いもしなかった感動を得るという幸運にでくわす。
大抵の場合、いまの自分と、登場人物を重ねて観てしまう。
だから、どういう時期にどういう状況で見るのかというのも深い感動を得るためには重要っぽい。
社会を知らない学生の時に見るのと、会社を定年退職してからみるのと、会社の社長になったときに見るのと、サラリーマンの立場で見るのと、それぞれに違う感想を持つことになるだろう。
異聞 始皇帝謀殺を観ていくうちに、自分が重ね合わせたのは
主役の秦王ユン・ジョン(始皇帝)だ・・・
周辺知識としては高校の世界史レベルの記憶が多少あった程度。
焚書坑儒、万里の長城、中国統一・・・かなりの暴君というイメージ。
それが、秦王ユン・ジョンのもうひとつの影としてカオ・ジアンリ(高漸離)を配置することで一人の暴君の物語から、人間の苦悩と愛憎と壮大な歴史の普遍的テーマとを感じ取ることができた・・・
12月31日(月) 読売テレビ 2:24〜4:50
(1996年香港)
時間/131分
監督/チョウ・シャオウェン
出演/チアン・ウェン グォ・ヨウ
1996年西安映画製作所・香港/監督:周暁文/主演:姜文
http://www.ytv.co.jp/0708bangumi/m_shikoutei.html
●あらすじ
秦の始皇帝をめぐって繰り広げられる物語を描く史劇。中国統一を進める秦の国王ユンはある日、幼なじみのカオと再会した。しかし、カオはユンの歓待を拒否する。
秦王ユン・ジョン(始皇帝)は、中国統一のために諸国に攻め入り制圧した。
燕から琴の名手・カオを呼び寄せ、国歌を作らせようとするが、カオは自国を滅ぼしたユンに反発し、自ら命を絶とうとする。カオの気持ちを和らげようと、ユンの長女・ユエヤンが仲裁に入る。幼い頃の落馬が原因で、歩く事が出来なくなってしまったユエヤンと、燕から無理やり連れて来られ音楽を強要されているカオは、お互い相手に自分と似た部分を見つけ惹かれあうようになる。
カオと付き合ううちに、ユエヤンの足も奇跡的に回復する。
が、ユンは二人の仲を認めることが出来ない。既にユエヤンをワンベンに嫁がせると公言していたのだ。ユエヤンは約束どおりワンベンに嫁ぐが、カオとの密会を続けていた。そして・・・・・。
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日本ではあまり知られていない映画だったらしい。
しかし相当面白かった。深い感銘を受けた作品だ。
普段、映画を見るときに事前の情報がありすぎると
素直に映画のないように入り込めないときがある。
逆に、何の前知識もなく、映画の技術的な良し悪しを批判するつもりもなく、
出演している俳優のこともしらなくて、監督のことも知らない、
映画そのものを批評するのが目的じゃない。
単純に物語の中に自分を重ね合わせることができたり、監督の世界観に浸ることができたりすると、思いもしなかった感動を得るという幸運にでくわす。
大抵の場合、いまの自分と、登場人物を重ねて観てしまう。
だから、どういう時期にどういう状況で見るのかというのも深い感動を得るためには重要っぽい。
社会を知らない学生の時に見るのと、会社を定年退職してからみるのと、会社の社長になったときに見るのと、サラリーマンの立場で見るのと、それぞれに違う感想を持つことになるだろう。
異聞 始皇帝謀殺を観ていくうちに、自分が重ね合わせたのは
主役の秦王ユン・ジョン(始皇帝)だ・・・
周辺知識としては高校の世界史レベルの記憶が多少あった程度。
焚書坑儒、万里の長城、中国統一・・・かなりの暴君というイメージ。
それが、秦王ユン・ジョンのもうひとつの影としてカオ・ジアンリ(高漸離)を配置することで一人の暴君の物語から、人間の苦悩と愛憎と壮大な歴史の普遍的テーマとを感じ取ることができた・・・
★映画のメモ
ユン・ジョンとカオは二人でひとつの人格のようなもの
ひとつが攻撃的に武力で国土を統一
ひとつが音楽でこころを統一
人間の二面性をあらわしたものだと思われる。
それはカオが始皇帝の影であるという言葉からも象徴的。
始皇帝の生きる原理は恐怖であり
死の恐怖から逃れられるのはカオの音楽だけだという。
逆にカオは生きる目的が無であったが、音楽と女性から生への意欲を与えられている。
ひとりの人間の矛盾と国家興亡、歴史の悲劇性、避けようのない矛盾をすばらしく表現している
大局的には国家を統一して平和をもたらすという理念がありながら
小局的には人間を殺し、他国を滅ぼし、奪い、殲滅させていく
まるで草でも刈り取るかのように人間の命を奪っていく・・・
やがて自分自身とも言える、友や娘をも失っていく・・・
最後にはいったい何が残ったのか・・・
結局始皇帝の中国統一は15年しかもたなかったわけだが
その制度(文字や貨幣や政治・支配体制)は漢に受け継がれて400年続いたという。
秦自体も始皇帝の前から500年の歴史のある国だったらしいが。
長い長い時の流れを俯瞰してみれば、歴史は繰り返すと感じざるを得ない。
国家の戦争・国土統一の流れというものは
企業の競争、合併、倒産などとあわせて見てしまう。
国王=社長、経営者。
1000年前でも2000年まえでも、いやもっと以前から、ずーと同じ事を繰り返しているのかと。
かつては土地を奪い合って人間の命を削りあったが、
いまでは、数字の奪い合いで他人の可能性を潰しあっている。
強者がとことん奪って、弱者がとことん搾取される。
いまも何も変わっていない。
たぶん1000年先も変わらないような気がする。
●こういう視点でみるのも
映画の中で、始皇帝は殺されることを願っているとうそぶいていながら、死への恐怖から他者を暴力で征服し続け自分は生き続ける。
一方、カオも絶望し飲まず食わずで餓死寸前という状態でも他者を求める根源的欲望を失っておらず、始皇帝の娘(ユエ・ヤン)を犯す。
タイトルの始皇帝謀殺というのは
最後、始皇帝自身の半身=カオを自らの手で殺して統一をなした、という点で謀殺なのだろうと思う。
他人を殺して征服するのではなく、理解してひとつになることを愛というならば、
愛を自ら手にかけて、滅んでいくというのも趣深い。
人間を真に殺せるの人間だけだ。
欲と欲がぶつかりあって殺しあったり、理解しあってひとつになったり。
人間は自分の欲を他人に理解されたときにはじめて、愛しあいされるのかもしれない。
★参考サイト
http://blog.livedoor.jp/kalkyl/archives/50359234.html 異聞 始皇帝謀殺 003 cinema
http://www.enjoy.ne.jp/~shinji-n/eiga-8.htm 中国映画への招待
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2003_10.html NHKその時歴史が動いた 始皇帝
http://blog.goo.ne.jp/xizhou257/e/a25f60257f5955debe035b5ad11a99d2 博客 金烏工房
http://d.hatena.ne.jp/ariahisaeda/20070823 歴史に翻弄されるもの アリアの考察ノート
http://www.fsinet.or.jp/~kyouko-h/eigahihyou/eigahihyou.htm 映画批評集
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高漸離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%BC%B8%E9%9B%A2
高漸離(こうぜんり)は、中国、戦国時代の人。
秦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
秦(しん、ピン音:QクJ錘、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。国姓はクY押覆┐ぁ法E?貉?亮鹽圓碗?曄?
始皇帝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D
始皇帝(しこうてい、紀元前259年1月 - 紀元前210年7月)は、中国秦の王ないし皇帝。姓はクY押覆┐ぁ法?瓩論?覆擦ぁ法8渋綯羚餮譴任蓮∋蝋陳襦淵掘璽曠錺鵐妊?次?hクJ只HuクJ℃gdクJ澄砲泙燭録岨蝋帖淵船鵐掘璽曠錺鵝?クJ錘 ShクJ只HuクJ℃g)という。
もともと秦の王であり、紀元前246年 - 紀元前210年の間在位して初めて中国を統一し、紀元前221年から中国史上はじめて皇帝と称した。
ユン・ジョンとカオは二人でひとつの人格のようなもの
ひとつが攻撃的に武力で国土を統一
ひとつが音楽でこころを統一
人間の二面性をあらわしたものだと思われる。
それはカオが始皇帝の影であるという言葉からも象徴的。
始皇帝の生きる原理は恐怖であり
死の恐怖から逃れられるのはカオの音楽だけだという。
逆にカオは生きる目的が無であったが、音楽と女性から生への意欲を与えられている。
ひとりの人間の矛盾と国家興亡、歴史の悲劇性、避けようのない矛盾をすばらしく表現している
大局的には国家を統一して平和をもたらすという理念がありながら
小局的には人間を殺し、他国を滅ぼし、奪い、殲滅させていく
まるで草でも刈り取るかのように人間の命を奪っていく・・・
やがて自分自身とも言える、友や娘をも失っていく・・・
最後にはいったい何が残ったのか・・・
結局始皇帝の中国統一は15年しかもたなかったわけだが
その制度(文字や貨幣や政治・支配体制)は漢に受け継がれて400年続いたという。
秦自体も始皇帝の前から500年の歴史のある国だったらしいが。
長い長い時の流れを俯瞰してみれば、歴史は繰り返すと感じざるを得ない。
国家の戦争・国土統一の流れというものは
企業の競争、合併、倒産などとあわせて見てしまう。
国王=社長、経営者。
1000年前でも2000年まえでも、いやもっと以前から、ずーと同じ事を繰り返しているのかと。
かつては土地を奪い合って人間の命を削りあったが、
いまでは、数字の奪い合いで他人の可能性を潰しあっている。
強者がとことん奪って、弱者がとことん搾取される。
いまも何も変わっていない。
たぶん1000年先も変わらないような気がする。
●こういう視点でみるのも
映画の中で、始皇帝は殺されることを願っているとうそぶいていながら、死への恐怖から他者を暴力で征服し続け自分は生き続ける。
一方、カオも絶望し飲まず食わずで餓死寸前という状態でも他者を求める根源的欲望を失っておらず、始皇帝の娘(ユエ・ヤン)を犯す。
タイトルの始皇帝謀殺というのは
最後、始皇帝自身の半身=カオを自らの手で殺して統一をなした、という点で謀殺なのだろうと思う。
他人を殺して征服するのではなく、理解してひとつになることを愛というならば、
愛を自ら手にかけて、滅んでいくというのも趣深い。
人間を真に殺せるの人間だけだ。
欲と欲がぶつかりあって殺しあったり、理解しあってひとつになったり。
人間は自分の欲を他人に理解されたときにはじめて、愛しあいされるのかもしれない。
★参考サイト
http://blog.livedoor.jp/kalkyl/archives/50359234.html 異聞 始皇帝謀殺 003 cinema
http://www.enjoy.ne.jp/~shinji-n/eiga-8.htm 中国映画への招待
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2003_10.html NHKその時歴史が動いた 始皇帝
http://blog.goo.ne.jp/xizhou257/e/a25f60257f5955debe035b5ad11a99d2 博客 金烏工房
http://d.hatena.ne.jp/ariahisaeda/20070823 歴史に翻弄されるもの アリアの考察ノート
http://www.fsinet.or.jp/~kyouko-h/eigahihyou/eigahihyou.htm 映画批評集
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高漸離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%BC%B8%E9%9B%A2
高漸離(こうぜんり)は、中国、戦国時代の人。
秦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
秦(しん、ピン音:QクJ錘、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。国姓はクY押覆┐ぁ法E?貉?亮鹽圓碗?曄?
始皇帝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D
始皇帝(しこうてい、紀元前259年1月 - 紀元前210年7月)は、中国秦の王ないし皇帝。姓はクY押覆┐ぁ法?瓩論?覆擦ぁ法8渋綯羚餮譴任蓮∋蝋陳襦淵掘璽曠錺鵐妊?次?hクJ只HuクJ℃gdクJ澄砲泙燭録岨蝋帖淵船鵐掘璽曠錺鵝?クJ錘 ShクJ只HuクJ℃g)という。
もともと秦の王であり、紀元前246年 - 紀元前210年の間在位して初めて中国を統一し、紀元前221年から中国史上はじめて皇帝と称した。
Posted by 播磨のいぢ at 12:23│Comments(0)
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