2007年10月15日
成功には、人生の成功と社会的な成功との二つがある
成功者になるために理解すべき20のこと メモ
自虐の詩への補完とハンターハンターにおける王の退屈への理解も含めて。
↓
下記サイトの文章を引用しながら個人的感想をメモ形式で記載。
社会的な成功を得る為には・・・・
http://kozy55-39all.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_4274.html
1、成功には、人生の成功と社会的な成功との二つがある
社会的な成功は、社会的に認められることであり、それに伴い金銭的な報酬がついてくることと規定したい・・・・人生の成功は死ぬときに、幸福であったと思えること。必ずしも金銭的な報酬がついてくるものではないと規定したい・・・・
↓
社会的な成功には先例があり、社会・世間に認められるというものが必要。
一人で社会的成功を収めることは難しい・・・
一方人生の成功については人の数だけ成功のありようがある気がする。
自虐の詩の熊本さんにも人生の成功はあるのだ。
2、人生の成功は、自己認知の問題である。
つまり、自己の納得感に依存する・・・・社会的成功とは、あくまで社会的な認知に依存するもの・・・
↓
人生の成功、自分で自分の人生を幸福である・幸福であったと認知できなければ
周囲の人間がいくら幸福そうであると思ったところで意味をなさない・・・
逆に周囲の人間が不幸の極みだと思っているあり方ですら
当人が幸福であると思うのならばそれでもよいのであろうか・・・
この場合、重要になってくるのは「足るを知る」ということかもしれない。
逆に社会的成功とは自分の認識によらないので
自分では成功したつもりでも社会の承認なしには成立しない。
だから、時には当人の死後にその功績をたたえて社会的成功を収めるという場合もありえるかも。
人生の成功と社会的成功は同時になしえるのか・・・
あるいはどちらも成功できない人間はどうすればよいのか・・・
3、多くの人が、特に今の世の中での拝金主義は、この社会的成功を求めている・・・・では、社会的な成功を得る為には、どの様な資質が必要なのかを考えてみたい・・・・
↓
社会的成功を求めるというのは社会的成功の必要条件に
金銭的成功、資本主義における勝者、という要素があるのか?
4、先ず第一には、人類の歴史を振り帰り、今何が変わりつつあるかを感じて洞察する能力だといいえるであろう・・・・この為には、歴史的な変遷の大きな流れを理解して、その変化の方向性を理解して、変化の胎動を感じること、そして、どの様にその胎動が具体的な変化をもたらすかを洞察することである・・・・・
↓
たとえばバブル期の80年代後半から90年代初頭の社会的成功要因と
現在の成功要因は明らかに違ってきているように思う。
また貴族社会の成功要因と武家社会の成功要因も違うだろう。
江戸幕府末期と明治維新前後も短期間に大きく成功要因が変わっただろう。
戦前と戦中、戦後も短期間に大きく変わった。
何が変わりつつあるのかを感じ、その変化の先をみすえて行動することで
その時代にはリアルタイムでは評価されなくても、何年もたって、歴史上の人物で大きく評価が変わった成功者も多くいる。
5、この時に大事な基本的な能力は、第一には、歴史を振り返るとよく理解できると思うが、技術革新が生活に変化をもたらし、その生活の変化という社会的な文脈が人にどのような価値観の変化をもたらすのかについての理解力であると捉えている・・・・
↓
社会の変化
技術の変化→生活の変化→価値観の変化
変化が人間に何をもたらすのか理解したうえで、どうするのか
より社会を豊かに便利に快適にするために動くのか
自分が利潤を追求するために動くのか・・・
6、つまり、技術的な理解力と心理学的な理解力、そして、社会のメカニズムが、どの様な相互作用を持っているかの理解が必要になる・・・・・・つまり、User Interfaceにたいする観察力と洞察力とも言い換えられる・・・
↓
ポイントは理解力だろうか。
そうすると社会的成功を収める確率が高いのはリーダーということになる。
具体的な職業としては、会社経営者・政治家・などであろうか。
7、もう一つは、現状の自分自身の社会的なおかれている状況を正しく認知して、変化する方向へ自分の能力の過不足を正しく認識して、必要な能力が在れば修得して、変化への対応を速やかに行える能力であると捉えている・・・・・
↓
社会的な成功のもう一つの重要ポイント。
自分の社会的なポジションを正しく理解すること。
正しい理解なくして、求められている能力を習得するに必要な努力はできないだろう。
例)サッカーでフォワードの選手がキーパーの練習をしてどうする?
8、この二つの能力に共通するのが、相手の視点、周りの視点という社会的な視点でもある第二の目の十分な成長と、あるべき姿をシステマティックに捉えることが出来る知識と経験でもある・・・つまり、第三の目の十分な成長なのである・・・・
↓
自分中心、自分発信の視点で物事をとらえるのではなくて
会社であれば上司や部下、取引先の立場も考えた上で
最善の行動をとれるような人物であるということ?
そのうえ、あるべき自分のイメージをしっかり持つということは
自分のしたいことだけではなくて、周囲から求められているものと、もっと大きな視点での最善をつくせるようなこと?
(時代の要請とか?消費者の今後のニーズとか?)
9、特にこの第三の目にて、現在の社会的な文脈に囚われない・・・つまり、普遍なものはないという基本的な自己哲学が一番大事である・・・
↓
やはり既存の価値観を第二の視点とすると
第二の視点での優等生は教科書の問題を網羅し、
教えられた道徳の教科書を過不足なく理解実践する優秀な生徒のイメージ?
第三の視点というのは教科書には書かれていないけれども
社会の要請として必要になってくるものを見抜くような力・・・
天才的な生徒のイメージ?
例)振り子打法を否定されながらも磨きあげ7年連続首位打者をとるイチローとか?
10、そうでない限り、変化の胎動も感じることも出来ないばかりか、社会を構成する人間の善い面と悪い面についての深い理解が出来ないのである・・・つまり、現実への深い理解を現実の文脈に囚われているようであれば、あるものが見えない・・・・・・・
↓
変化の胎動
文脈
物事の善悪、人間の善い面と悪い面
その場の判断だけではなく、前後の文脈も踏まえて理解する
現実への深い理解。
これは自己へと深く掘り下げていくイメージではなく、
とことん他者を広く深く理解しようとするイメージ
隣人愛?
他者承認?
11、そして、あまりにも複雑な現在の人間社会においては、自分で仮説を立てて検証をしていく現実への理解力を向上させる普段からの、言い換えると、弁証法的な探求姿勢の確立が必要になる・・・・
↓
現実への理解力
弁証法的な探究姿勢
こうなってくると外の世界の理解がメイン。
ものごとを1つの側面からだけでなく
常に両天秤で測り続けなければならない。
振り子のバランスが、揺れ幅が、大きければ大きいほどいいのか?悪いのか?
1つの要素と対立するもう一つの要素を常に仮定し、想像し、理解しようとする姿勢が必要。これは究極的には人間的要素というよりもあたかも神のみぞなしうるという視点では?
12、人間は不安を避けたいが故に、自分の中でこうであるとの理解をしたがる構造におかれているが、これらを絶対的なものであると思うと同時にそれを打ち消す事実に目を向けられない構造を持っている・・・・それ故、仮説は、基本的には仮説として脳内で整理することが大事になる・・・
もしくは、それは状況次第であり、ある状況においては適用できるとの捉え方を常にすることが大事な習慣となる・・・・
↓
アンチノミー
二律背反
一方を絶対的なものとしてみなせば安心感が生まれる。
自分を肯定し、自分を幸福だと思いこんで・・・
他人を否定し、自分が正しいと思いこんで・・・
絶対的なものは安心感を与えてくれるが故に、反対する不安要素から目を背けてしまうという弱点が。
あるはずのものを見なかったことにする・・・これでは社会的成功は完全ではない。
13、これだけでは不安になるかもしれない・・・・だから、自分自身の判断基準は何か=状況次第として、判断基準まで落とし込むことが必要になってくる・・・・・・・・たとえこの判断基準が間違っていても、この判断基準を確り持っていれば、間違いに気がつき易くなるのである・・・・これが人間の成長のプロセスでもあると捉えています・・・・・・・
↓
会社の経営者に向いている人はこういう人なのかもしれない。
絶対君主でワンマン社長で、という場合には間違いに気付きにくくなるのかもしれない。
例)赤福、賞味期限偽装、英会話NOVA、白い恋人、牛肉偽装、ミートホープ、・・・・
14、また、この判断基準は変化の胎動に対しても、より気付き易くしてくれるのである・・・・・平易な言葉にすると、“あれ!、何かが違う!”という気付きを起こすのです・・・・・
↓
そうなってくると、本当に社会的成功を収めるような自分物の内心というのは、常に不安との戦いではないのか?
心が休まる時が一番の危険とは。
安心しきってしまうと死を招く・・・
常に危機感をもって、何かが違うという変化の胎動に気付きやすい姿勢でいないといけない。
これは疲れますよ。
15、また、歴史的事実、また経験則として、トップに上り詰めて権限を掌握すると、第二の目は、実質不要となり、第一の目だけで見る弊害に陥るが故に、第三の目も退化してあるべき姿からだんだん乖離していき、自滅の道を歩む・・・・それが故に、世界が評価する国家においては、終身大統領を認める国家は存在しない・・・・
↓
整理)
・第一の視点 >私視点 自分中心
・第二の視点 >周囲の視点
・第三の視点 >未来の視点?
これがトップに立つと、周囲が自分に従っているわけだから、私=世界になってしまう。
※冨樫義博のハンターハンターにおける、王の心境ってこういうところか。
王は王故に第一の視点と第二の視点が同一になってしまうことで退屈だと感じている。この状況を打破しようと思うと、第三の視点をしっかり確立するか、一度トップから退いて第一、第二、と段階を経ていくか・・・
「退屈と断ずるにいささかの躊躇も持たぬ!」ってね。
※「余は何者だ…? 名もなき王。借り物の城。眼下に集うは意思持たぬ人形。
これが余に与えられた天命ならば、退 退屈と断ずるに些かの躊躇も持たぬ!!!」
例)幸福の対義語は不幸ではない。退屈である。
例)人間の幸福の二つの敵は苦痛と退屈である。
16、心理学の有名な実験で、囚人と監視員とに無作為に二分してその役を演じさせると、その後の変化を見ると、監視員はどんどん残虐なるというのがあります・・・ある意味では、残虐的行為は、第二の目と第三の目の機能の低下、または、消失に起因する・・・・・・
↓
考えるのをやめたとき、それは意志を持たない人形
17、いじめをする人は、大人社会でもありますが、若いときは、自分と回りは同じ捉えかたをするとの思い込みより生まれてくる・・・・そして、個人個人は違う視点を持っているという第二の目の成長の始まりが思春期でもあるのです・・・・・
しかし、大人社会のいじめは、不安と恐怖感に基づく行為に転化している・・・・・これは人間の本質と人間の成長メカニズムへの理解の欠如であり、これは、現実が見えていないことであり、社会的な成功は一時的にはあったとしても持続しないのである・・・つまり、社会的な失敗への通り道でしかない・・・・
↓
現実が見えていない・・・
社会的な成功は一時的で、失敗への通り道でしかなった・・・
なんて痛いんだ
18、物事を感じる感性は第二の目に依存して、技術的な理解による洞察力とシステマチックな理解力は経験と第三の目に依存する、不安と恐怖に打ち勝つのは第一の目による自分自身の弱さとおぞましさの正しい理解に依存する、この第一目の成長が、その様な人間が構成する社会においては、普遍的なものはなく状況に依存するということの理解につながり、第三の目の成長を促す・・・・・・
これらが、思いつくまま書いたが、社会的な成功への絶対条件であるが、第三の目の円熟が成せるものであり、これは確かに非常に難しいことでもあるが故に、真の社会的な成功を収める人間は非常に限られるのである・・・・
↓
自分自身の弱さとおぞましさの正しい理解
自分と他人は同じ人間ではあるが違う考え方、環境で育ち多様であると理解し・・・相手の立場を理解し、自分の果たすべき役割を理解し、目的を達成するための能力を磨く・・・そして中長期的な変化を見据えた世界の理解
19、ある意味では、人間の善い面と悪い面の両面の理解に基づく人間愛が必要になるのが社会的な成功の源泉でもあり、拝金主義は、これに反することであり、社会的な成功の道から遠ざかることでしかないのではないでしょうか・・・・・・・
しかし、これは残念ながら真の社会的な成功の規定であるが、現実における社会的な成功の中には、大人の9割ぐらいの人が、現実の直視をさけ、ものごとの変化には時間を有するを理解しようとはぜずに、自己成長と傷つくことの違いを理解せずに妄想および幻想の世界に縛られている・・・・・・
これらの未熟者を助長させることを、仕事として、人間の多数派より詐欺的な行為により、ただ単に金銭的報酬をむさぼる人がいるのは事実であるが、この様な人が人生の成功を感じて死ねるかといえば、これは、否ということになります・・・・つまり、善なる面を持たない人間は存在しないのです・・・・・・・
↓
人間愛が社会的成功の源泉
善なる面を持たない人間は存在しない・・・つまり本来的自己が善だと判断しない行動によって得た成功では真の幸福感を得ることができない。良心の呵責ゆえに、純粋理性の事実として。
しかし物事の多様な側面を理解しようとする力、エネルギーは一体どこから湧いて出てくるのか。
これは現実社会の中で自ら補給しなければならないエネルギー?
疲れ切った人間にとっては、多様な価値観・世界・現実を理解したうえで正しいものを吟味して自らの行動を規定していくことは大変困難であり、意志を持たず安易に妥協して何も考えず、苦痛を逃れ、1つのものを絶対信仰してしまうのです・・・
20、つまり、詐欺的な成功と真の社会的な成功の違いは、如何にして、人間の真の成長を促すか否かによる。また、言い換えると、如何に社会の変化への適用を促すとも言いえる・・・・・しかし、この事は大きな忍耐力が必要であるが故に、人は安易な金銭的成功へ流れてしまう・・・・・何かを学ぶときには、この視点を持つことが、自己成長においては、大事なことである・・・・・
歴史的な選別を得て残っている名著のほうが、現代売れている本よりは価値がある・・・・・しかし、現在売れている本の多くは、その裏にある現在の心的な病巣を表している・・・・それ故に、この裏にあることを読む姿勢が大事になる・・・・・
↓
思うに、現代の日本社会においてはほとんどすべての人に考えるチャンスが与えられている。
成長するチャンスがあるという希望が存在する。
それはたとえどんな境遇に生まれ育とうともだ。
体に障害があろうとも、顔が不美人であろうとも、家庭が貧しかろうと、テストの点数が悪かろうと。
ほとんどすべての意志ある人間には成長するというチャンスが与えられているように思う。
自虐の詩における感動のありかはそこだろう。
最後の言葉、人生には確かに意味がある・価値があるといいきれるのはそこだろう。
それをどこかで経験上しっている人間は知らずに涙が・・・・
自虐の詩への補完とハンターハンターにおける王の退屈への理解も含めて。
↓
下記サイトの文章を引用しながら個人的感想をメモ形式で記載。
社会的な成功を得る為には・・・・
http://kozy55-39all.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_4274.html
1、成功には、人生の成功と社会的な成功との二つがある
社会的な成功は、社会的に認められることであり、それに伴い金銭的な報酬がついてくることと規定したい・・・・人生の成功は死ぬときに、幸福であったと思えること。必ずしも金銭的な報酬がついてくるものではないと規定したい・・・・
↓
社会的な成功には先例があり、社会・世間に認められるというものが必要。
一人で社会的成功を収めることは難しい・・・
一方人生の成功については人の数だけ成功のありようがある気がする。
自虐の詩の熊本さんにも人生の成功はあるのだ。
2、人生の成功は、自己認知の問題である。
つまり、自己の納得感に依存する・・・・社会的成功とは、あくまで社会的な認知に依存するもの・・・
↓
人生の成功、自分で自分の人生を幸福である・幸福であったと認知できなければ
周囲の人間がいくら幸福そうであると思ったところで意味をなさない・・・
逆に周囲の人間が不幸の極みだと思っているあり方ですら
当人が幸福であると思うのならばそれでもよいのであろうか・・・
この場合、重要になってくるのは「足るを知る」ということかもしれない。
逆に社会的成功とは自分の認識によらないので
自分では成功したつもりでも社会の承認なしには成立しない。
だから、時には当人の死後にその功績をたたえて社会的成功を収めるという場合もありえるかも。
人生の成功と社会的成功は同時になしえるのか・・・
あるいはどちらも成功できない人間はどうすればよいのか・・・
3、多くの人が、特に今の世の中での拝金主義は、この社会的成功を求めている・・・・では、社会的な成功を得る為には、どの様な資質が必要なのかを考えてみたい・・・・
↓
社会的成功を求めるというのは社会的成功の必要条件に
金銭的成功、資本主義における勝者、という要素があるのか?
4、先ず第一には、人類の歴史を振り帰り、今何が変わりつつあるかを感じて洞察する能力だといいえるであろう・・・・この為には、歴史的な変遷の大きな流れを理解して、その変化の方向性を理解して、変化の胎動を感じること、そして、どの様にその胎動が具体的な変化をもたらすかを洞察することである・・・・・
↓
たとえばバブル期の80年代後半から90年代初頭の社会的成功要因と
現在の成功要因は明らかに違ってきているように思う。
また貴族社会の成功要因と武家社会の成功要因も違うだろう。
江戸幕府末期と明治維新前後も短期間に大きく成功要因が変わっただろう。
戦前と戦中、戦後も短期間に大きく変わった。
何が変わりつつあるのかを感じ、その変化の先をみすえて行動することで
その時代にはリアルタイムでは評価されなくても、何年もたって、歴史上の人物で大きく評価が変わった成功者も多くいる。
5、この時に大事な基本的な能力は、第一には、歴史を振り返るとよく理解できると思うが、技術革新が生活に変化をもたらし、その生活の変化という社会的な文脈が人にどのような価値観の変化をもたらすのかについての理解力であると捉えている・・・・
↓
社会の変化
技術の変化→生活の変化→価値観の変化
変化が人間に何をもたらすのか理解したうえで、どうするのか
より社会を豊かに便利に快適にするために動くのか
自分が利潤を追求するために動くのか・・・
6、つまり、技術的な理解力と心理学的な理解力、そして、社会のメカニズムが、どの様な相互作用を持っているかの理解が必要になる・・・・・・つまり、User Interfaceにたいする観察力と洞察力とも言い換えられる・・・
↓
ポイントは理解力だろうか。
そうすると社会的成功を収める確率が高いのはリーダーということになる。
具体的な職業としては、会社経営者・政治家・などであろうか。
7、もう一つは、現状の自分自身の社会的なおかれている状況を正しく認知して、変化する方向へ自分の能力の過不足を正しく認識して、必要な能力が在れば修得して、変化への対応を速やかに行える能力であると捉えている・・・・・
↓
社会的な成功のもう一つの重要ポイント。
自分の社会的なポジションを正しく理解すること。
正しい理解なくして、求められている能力を習得するに必要な努力はできないだろう。
例)サッカーでフォワードの選手がキーパーの練習をしてどうする?
8、この二つの能力に共通するのが、相手の視点、周りの視点という社会的な視点でもある第二の目の十分な成長と、あるべき姿をシステマティックに捉えることが出来る知識と経験でもある・・・つまり、第三の目の十分な成長なのである・・・・
↓
自分中心、自分発信の視点で物事をとらえるのではなくて
会社であれば上司や部下、取引先の立場も考えた上で
最善の行動をとれるような人物であるということ?
そのうえ、あるべき自分のイメージをしっかり持つということは
自分のしたいことだけではなくて、周囲から求められているものと、もっと大きな視点での最善をつくせるようなこと?
(時代の要請とか?消費者の今後のニーズとか?)
9、特にこの第三の目にて、現在の社会的な文脈に囚われない・・・つまり、普遍なものはないという基本的な自己哲学が一番大事である・・・
↓
やはり既存の価値観を第二の視点とすると
第二の視点での優等生は教科書の問題を網羅し、
教えられた道徳の教科書を過不足なく理解実践する優秀な生徒のイメージ?
第三の視点というのは教科書には書かれていないけれども
社会の要請として必要になってくるものを見抜くような力・・・
天才的な生徒のイメージ?
例)振り子打法を否定されながらも磨きあげ7年連続首位打者をとるイチローとか?
10、そうでない限り、変化の胎動も感じることも出来ないばかりか、社会を構成する人間の善い面と悪い面についての深い理解が出来ないのである・・・つまり、現実への深い理解を現実の文脈に囚われているようであれば、あるものが見えない・・・・・・・
↓
変化の胎動
文脈
物事の善悪、人間の善い面と悪い面
その場の判断だけではなく、前後の文脈も踏まえて理解する
現実への深い理解。
これは自己へと深く掘り下げていくイメージではなく、
とことん他者を広く深く理解しようとするイメージ
隣人愛?
他者承認?
11、そして、あまりにも複雑な現在の人間社会においては、自分で仮説を立てて検証をしていく現実への理解力を向上させる普段からの、言い換えると、弁証法的な探求姿勢の確立が必要になる・・・・
↓
現実への理解力
弁証法的な探究姿勢
こうなってくると外の世界の理解がメイン。
ものごとを1つの側面からだけでなく
常に両天秤で測り続けなければならない。
振り子のバランスが、揺れ幅が、大きければ大きいほどいいのか?悪いのか?
1つの要素と対立するもう一つの要素を常に仮定し、想像し、理解しようとする姿勢が必要。これは究極的には人間的要素というよりもあたかも神のみぞなしうるという視点では?
12、人間は不安を避けたいが故に、自分の中でこうであるとの理解をしたがる構造におかれているが、これらを絶対的なものであると思うと同時にそれを打ち消す事実に目を向けられない構造を持っている・・・・それ故、仮説は、基本的には仮説として脳内で整理することが大事になる・・・
もしくは、それは状況次第であり、ある状況においては適用できるとの捉え方を常にすることが大事な習慣となる・・・・
↓
アンチノミー
二律背反
一方を絶対的なものとしてみなせば安心感が生まれる。
自分を肯定し、自分を幸福だと思いこんで・・・
他人を否定し、自分が正しいと思いこんで・・・
絶対的なものは安心感を与えてくれるが故に、反対する不安要素から目を背けてしまうという弱点が。
あるはずのものを見なかったことにする・・・これでは社会的成功は完全ではない。
13、これだけでは不安になるかもしれない・・・・だから、自分自身の判断基準は何か=状況次第として、判断基準まで落とし込むことが必要になってくる・・・・・・・・たとえこの判断基準が間違っていても、この判断基準を確り持っていれば、間違いに気がつき易くなるのである・・・・これが人間の成長のプロセスでもあると捉えています・・・・・・・
↓
会社の経営者に向いている人はこういう人なのかもしれない。
絶対君主でワンマン社長で、という場合には間違いに気付きにくくなるのかもしれない。
例)赤福、賞味期限偽装、英会話NOVA、白い恋人、牛肉偽装、ミートホープ、・・・・
14、また、この判断基準は変化の胎動に対しても、より気付き易くしてくれるのである・・・・・平易な言葉にすると、“あれ!、何かが違う!”という気付きを起こすのです・・・・・
↓
そうなってくると、本当に社会的成功を収めるような自分物の内心というのは、常に不安との戦いではないのか?
心が休まる時が一番の危険とは。
安心しきってしまうと死を招く・・・
常に危機感をもって、何かが違うという変化の胎動に気付きやすい姿勢でいないといけない。
これは疲れますよ。
15、また、歴史的事実、また経験則として、トップに上り詰めて権限を掌握すると、第二の目は、実質不要となり、第一の目だけで見る弊害に陥るが故に、第三の目も退化してあるべき姿からだんだん乖離していき、自滅の道を歩む・・・・それが故に、世界が評価する国家においては、終身大統領を認める国家は存在しない・・・・
↓
整理)
・第一の視点 >私視点 自分中心
・第二の視点 >周囲の視点
・第三の視点 >未来の視点?
これがトップに立つと、周囲が自分に従っているわけだから、私=世界になってしまう。
※冨樫義博のハンターハンターにおける、王の心境ってこういうところか。
王は王故に第一の視点と第二の視点が同一になってしまうことで退屈だと感じている。この状況を打破しようと思うと、第三の視点をしっかり確立するか、一度トップから退いて第一、第二、と段階を経ていくか・・・
「退屈と断ずるにいささかの躊躇も持たぬ!」ってね。
※「余は何者だ…? 名もなき王。借り物の城。眼下に集うは意思持たぬ人形。
これが余に与えられた天命ならば、退 退屈と断ずるに些かの躊躇も持たぬ!!!」
例)幸福の対義語は不幸ではない。退屈である。
例)人間の幸福の二つの敵は苦痛と退屈である。
16、心理学の有名な実験で、囚人と監視員とに無作為に二分してその役を演じさせると、その後の変化を見ると、監視員はどんどん残虐なるというのがあります・・・ある意味では、残虐的行為は、第二の目と第三の目の機能の低下、または、消失に起因する・・・・・・
↓
考えるのをやめたとき、それは意志を持たない人形
17、いじめをする人は、大人社会でもありますが、若いときは、自分と回りは同じ捉えかたをするとの思い込みより生まれてくる・・・・そして、個人個人は違う視点を持っているという第二の目の成長の始まりが思春期でもあるのです・・・・・
しかし、大人社会のいじめは、不安と恐怖感に基づく行為に転化している・・・・・これは人間の本質と人間の成長メカニズムへの理解の欠如であり、これは、現実が見えていないことであり、社会的な成功は一時的にはあったとしても持続しないのである・・・つまり、社会的な失敗への通り道でしかない・・・・
↓
現実が見えていない・・・
社会的な成功は一時的で、失敗への通り道でしかなった・・・
なんて痛いんだ
18、物事を感じる感性は第二の目に依存して、技術的な理解による洞察力とシステマチックな理解力は経験と第三の目に依存する、不安と恐怖に打ち勝つのは第一の目による自分自身の弱さとおぞましさの正しい理解に依存する、この第一目の成長が、その様な人間が構成する社会においては、普遍的なものはなく状況に依存するということの理解につながり、第三の目の成長を促す・・・・・・
これらが、思いつくまま書いたが、社会的な成功への絶対条件であるが、第三の目の円熟が成せるものであり、これは確かに非常に難しいことでもあるが故に、真の社会的な成功を収める人間は非常に限られるのである・・・・
↓
自分自身の弱さとおぞましさの正しい理解
自分と他人は同じ人間ではあるが違う考え方、環境で育ち多様であると理解し・・・相手の立場を理解し、自分の果たすべき役割を理解し、目的を達成するための能力を磨く・・・そして中長期的な変化を見据えた世界の理解
19、ある意味では、人間の善い面と悪い面の両面の理解に基づく人間愛が必要になるのが社会的な成功の源泉でもあり、拝金主義は、これに反することであり、社会的な成功の道から遠ざかることでしかないのではないでしょうか・・・・・・・
しかし、これは残念ながら真の社会的な成功の規定であるが、現実における社会的な成功の中には、大人の9割ぐらいの人が、現実の直視をさけ、ものごとの変化には時間を有するを理解しようとはぜずに、自己成長と傷つくことの違いを理解せずに妄想および幻想の世界に縛られている・・・・・・
これらの未熟者を助長させることを、仕事として、人間の多数派より詐欺的な行為により、ただ単に金銭的報酬をむさぼる人がいるのは事実であるが、この様な人が人生の成功を感じて死ねるかといえば、これは、否ということになります・・・・つまり、善なる面を持たない人間は存在しないのです・・・・・・・
↓
人間愛が社会的成功の源泉
善なる面を持たない人間は存在しない・・・つまり本来的自己が善だと判断しない行動によって得た成功では真の幸福感を得ることができない。良心の呵責ゆえに、純粋理性の事実として。
しかし物事の多様な側面を理解しようとする力、エネルギーは一体どこから湧いて出てくるのか。
これは現実社会の中で自ら補給しなければならないエネルギー?
疲れ切った人間にとっては、多様な価値観・世界・現実を理解したうえで正しいものを吟味して自らの行動を規定していくことは大変困難であり、意志を持たず安易に妥協して何も考えず、苦痛を逃れ、1つのものを絶対信仰してしまうのです・・・
20、つまり、詐欺的な成功と真の社会的な成功の違いは、如何にして、人間の真の成長を促すか否かによる。また、言い換えると、如何に社会の変化への適用を促すとも言いえる・・・・・しかし、この事は大きな忍耐力が必要であるが故に、人は安易な金銭的成功へ流れてしまう・・・・・何かを学ぶときには、この視点を持つことが、自己成長においては、大事なことである・・・・・
歴史的な選別を得て残っている名著のほうが、現代売れている本よりは価値がある・・・・・しかし、現在売れている本の多くは、その裏にある現在の心的な病巣を表している・・・・それ故に、この裏にあることを読む姿勢が大事になる・・・・・
↓
思うに、現代の日本社会においてはほとんどすべての人に考えるチャンスが与えられている。
成長するチャンスがあるという希望が存在する。
それはたとえどんな境遇に生まれ育とうともだ。
体に障害があろうとも、顔が不美人であろうとも、家庭が貧しかろうと、テストの点数が悪かろうと。
ほとんどすべての意志ある人間には成長するというチャンスが与えられているように思う。
自虐の詩における感動のありかはそこだろう。
最後の言葉、人生には確かに意味がある・価値があるといいきれるのはそこだろう。
それをどこかで経験上しっている人間は知らずに涙が・・・・
Posted by 播磨のいぢ at 23:47│Comments(0)
│ことば・用語・考え
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この弔辞はブログ管理者が実際に書いて告別式で読んだものです、参考になればご自由にお使いください。弔辞元○○○○議員△△△△殿のご霊前に謹んでお別れの辞を申し上げます遅れ...
弔辞を書く【葬式。現代社会ではどう考えればいい】at 2007年10月20日 16:01