2009年03月30日
三木市出身大相撲力士、皇司が引退 年寄・若藤を襲名へ
今場所は朝青龍が終盤にこけて、あっさりした大相撲2009年3月場所でしたが、地元の英雄と呼ばれる力士が現役引退を表明し土俵を去ることになったそうです。
38歳と現役最年長関取だったそうですが、とうとう限界に。
175cm と決して大きくない体格ながら16年も闘い続けたというのは立派の一言。
これで兵庫県出身の力士がまた一人減ってしまったわけですが、
次なる若手台頭に期待をしたいところ。
いつまでもモンゴルやロシアやハワイなど海外勢に上位を独占させておくわけには行かない。
やっぱり郷土出身の力士が活躍してくれたらうれしいもの。
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0001784306.shtml
郷土の英雄惜しむ 大相撲・皇司引退 三木
二十八日、現役引退を表明した、大相撲の現役最年長関取で、三木市福井出身の皇司関(38)=本名大内信英、入間川部屋。関係者らは、「三木の英雄」の引退を惜しみながらも、粘りの相撲で郷土に勇気を与え続けた、十六年の土俵生活をたたえた。
http://www.kobe-np.co.jp/news/sports/0001784231.shtml
関取最年長の皇司引退 年寄「若藤」を襲名
38歳と現役最年長関取だったそうですが、とうとう限界に。
175cm と決して大きくない体格ながら16年も闘い続けたというのは立派の一言。
これで兵庫県出身の力士がまた一人減ってしまったわけですが、
次なる若手台頭に期待をしたいところ。
いつまでもモンゴルやロシアやハワイなど海外勢に上位を独占させておくわけには行かない。
やっぱり郷土出身の力士が活躍してくれたらうれしいもの。
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0001784306.shtml
郷土の英雄惜しむ 大相撲・皇司引退 三木
二十八日、現役引退を表明した、大相撲の現役最年長関取で、三木市福井出身の皇司関(38)=本名大内信英、入間川部屋。関係者らは、「三木の英雄」の引退を惜しみながらも、粘りの相撲で郷土に勇気を与え続けた、十六年の土俵生活をたたえた。
http://www.kobe-np.co.jp/news/sports/0001784231.shtml
関取最年長の皇司引退 年寄「若藤」を襲名
皇司信秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - )は、兵庫県三木市出身で入間川部屋所属の元大相撲力士、現若藤親方。得意手は突き、押し、寄り、いなし、猫騙し。アマチュア相撲出身。最高位は西前頭4枚目(2001年7月場所)。身長175cm、体重147kg。趣味はビデオ鑑賞。本名は大内 信英(おおうち のぶひで)。
金属加工業の二男で、祖父と父が相撲好きだった影響で三木市立三樹小学校6年の時からの時から相撲好きで力士を志し、三木市立三木中学校で相撲を始めて市川高校相撲部では国民体育大会や全国高等学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献し、日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍した。高校と大学では大日ノ出の1年後輩である。1993年3月場所、日大同学年の白崎と共に入間川部屋から初土俵を踏む。
当初は右下手半身で寄る取り口で、特に大兵には体格で負けて勝ち味が遅く十両で低迷したが、立合いからの突き押しで離れて動き回る相撲が増えてからは強味を増して1999年9月場所に入幕を果たした。2001年7月場所には自己最高位の西前頭4枚目まで番付を上げ、2002年にかけて幕内に定着したものの、その後は次第に十両へ落ちることが多くなった。2005年11月場所には十両下位まで転落したが、そこから這い上がって、2006年1 月場所は西十両4枚目で10勝5敗と大勝し、2005年3月場所以来1年ぶりの幕内復帰を果たしたが、4勝11敗と負け越して再び十両に陥落した。このように幕内では勝ち越せないが(新入幕以後、幕内での10度の勝ち越しはすべて8勝である)、十両では地力を見せつけ大勝するパターンが多い。最近では、幕内で2場所連続で負け越し、東十両筆頭で迎えた2007年3月場所に、11勝4敗で十両優勝次点の好成績を挙げている。しかし、10回目の入幕と史上3位の記録となった翌5月場所では、初日から10連敗してしまい4勝11敗。
また、2005年11月場所中の琴ノ若の引退で、2005年11月場所千秋楽時点で現役最高齢関取となった。高齢になってもキビキビした動きは衰えを知らず、最近は相撲中継中にたびたび「関取最年長とは思えないほど動きは若いですね」などと言われる。いわゆる「学生出身力士」が最年長になることは稀なことである。
2008年1 月場所、西十両4枚目で9勝6敗と勝ち越し、3月場所で11回目の入幕を決めた。37歳0カ月での幕内復帰は戦後3位の高齢記録で、入幕回数11回は昭和以降3位。この場所初日から4連勝して上記の不名誉な記録を脱却できるかと思われたが、5日目から10連敗してしまい結局5勝10敗と大きく負け越し、十両へ陥落してしまった。
東十両12枚目で迎えた2009年3月場所、4日目に勝ったものの、12日目終了の時点で1勝11敗と大不振に陥った。右肩を痛めたとの診断書を提出し、翌13日目から幕下時代の1993年7月場所以来15年半ぶりの休場。幕下陥落が濃厚となって引退が危ぶまれたが、陥落でも現役続行を発表した。[1]しかしその翌日に引退、年寄若藤として後進の指導にあたると発表した。
○ 現役時代の主な成績
* 通算成績:616勝660敗2休(97場所)
* 幕内成績:184勝266敗 (30場所)
各段優勝
* 十両優勝:2回
* 幕下優勝:1回
Posted by 播磨のいぢ at 10:28│Comments(0)
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